率川坐大神神御子神社

奈良県奈良市本子守町に鎮座する率川神社は、春日三枝神社・三枝神社・子守社ともよばれ、奈良県桜井市の大神神社の摂社となっています。

「子守」の地名は、『大乗院寺社雑事記』文明元年(1469)8月1日条にみえ、古く遡ります。

祭神は、媛蹈鞴五十鈴媛命・玉櫛姫命・狭井大神であり、『延喜式』神名帳の大和国添上郡にみえる、率川坐大神御子神社三座とされます。

「大倭神社註進状」奥書に、次のように記されます。

大神氏家牒曰、小治田豊浦宮御宇天皇推古御世、建大神御子神〈姫蹈鞴五十鈴姫命〉

宮於春日率川邑〈本名狭井川邑〉大神君白堤奉祭之、大宝年中始行祭礼、今三枝祭是也、

養老年中、左大臣藤史建子守〈御母三嶋溝橛耳之女玉櫛姫〉、

狭井神〈大己貴命荒魂〉大国魂命両神社奉祭焉

「大三輪神三社鎮座次第」別宮小社之事に、次のようにみえます。

春日三枝神社、媛蹈鞴五十鈴媛命也、

小墾田宮御宇天皇御世、

大三輪君白従(堤カ)掌勅立社於春日邑率川坂岡両所、

奉祭媛蹈鞴五十鈴媛命、大物主命也、

平城宮御宇天皇御世、益造両社之相殿為三座、又始行三枝祭、

是大三輪氏長奉仕之

「大倭神社註進状」奥書に、蹈鞴五十鈴媛の父としてみえる「狭井神」は、『延喜式』神名帳にみえる、大和国城上郡の狭井坐大神荒魂神社(奈良県桜井市三輪)であり、率川神社と狭井神社の深い関係が窺われます。

(→ 媛蹈鞴五十鈴媛と狭井坐大神荒魂神社

また、率川神社は、事代主神と密接な関係が認められます。

「大三輪神三社鎮座次第」別宮小社之事に、率川神社の創建者としてみえる大神君白堤は、大和国山辺郡の式内社、白堤神社(奈良県天理市長柄町)に関係するとみられますが、鎮座地の小字「長柄」は、事代主神後裔氏族の長柄首に関わります。

また、率川神社の本殿東に鎮座する率川阿波神社(式内社で元は西城戸町に鎮座と伝わる)は、事代主神を祭神としますが、神社の名の「阿波」は、事代主神後裔の長直の本拠地である阿波国那賀郡・勝浦郡を窺わせます。(→ 事代主神後裔氏族

率川神社をめぐる狭井神と事代主神の諸相から、事代主神は、三輪山に祭祀される神々のうち、狭井坐大神荒魂神社につながる神であったと推察されます。

(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge)奈良県:奈良市>奈良町>本子守町>率川神社、阿波神社)

◇ 「こもり」の名称は、大和国十市郡多の小杜神命神社、丹後国与謝郡の籠神社にもみられる。これらの「こもり」に共通項はあるのだろうか。(→ 多坐弥志理都比古神社)(→ 「海部氏系図」と難波根子武振熊・倭直

◇ 『記』『紀』に、開化天皇の宮・陵は、春日率川とされる。

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