日向諸県君髪長媛– category –
仁徳妃日向諸県君髪長媛について
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坐摩神と倭直・阿曇連
坐摩神社の旧社地のあたりは、古代から中世にかけて、 渡辺津とよばれた、淀川河口の要津の地でした。 鬼退治で有名な、渡辺綱の後裔、渡辺党の拠点として知られています。 坐摩神社の神官家も、渡辺綱の後裔とされます。 渡辺党が活躍する以前、この地に... -
坐摩神と草香幡梭姫皇女
坐摩神社は、 南御堂難波別院の西側、 大阪市中央区久太郎町に鎮座します。 現在地は、寛永年中(1624〜44)に遷座したもので、 旧社地は、大阪市中央区石町にある御旅所、といわれます。 御旅所本殿の下には、方五丈に及ぶ岩盤があって、 神功皇后休息の... -
日向諸県君
日向諸県君は、日向国諸県郡の勢力ですが、その郡域は、大淀川中流・上流域と支流域の大部分と川内川上流の加久藤盆地を含むことから、勢力圏は大淀川水系域と考えられています。 本拠地は、大淀川支流本庄川と深年川にはさまれた台地上に造営された本庄古... -
応神妃日向泉長媛
『記』『紀』によると、日向泉長媛という応神の妃がいます。 『紀』では、2人のあいだに、 大葉枝皇子・小葉枝皇子という子がいたことがみえ、 『記』では、この2人に加えて、幡日之若郎女という子も記されます。 幡日之若郎女の「幡日」は「幡梭(はた... -
日下の后妃
仁徳は、応神から譲られた日向諸県君髪長媛と結婚し、2人のあいだに、大草香皇子、草香幡梭姫皇女をもうけました。(→ 日向諸県君髪長媛と仁徳の結婚) 「大草香皇子」「草香幡梭姫皇女」の「草香」は、2人の居住地とみられます。 「草香」は「日下」とも... -
日向諸県君髪長媛と仁徳の結婚
『記』『紀』に、日向諸県君髪長媛と仁徳天皇の結婚の話がみえます。 日向諸県君は、日向国の南部、諸県郡を拠点とする勢力です。(→ 日向諸県君) 当初、仁徳の父、応神天皇が美貌の髪長媛を妃にしようと呼び寄せますが、仁徳が髪長媛を気に入ったことを...
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