少子部蜾蠃– category –
雄略朝の少子部蜾蠃について、少子部の由来、三輪山の神を捕らえた伝承を探ります。
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雄略紀と応神紀の衣縫伝承
『紀』応神紀と雄略紀に、衣縫をめぐる記述がみえます。 『紀』応神紀37年2月条・41年2月是月条には次のようにあります。 阿知使主・都加使主は、呉国を訪れ、 王より、工女兄媛・弟媛、呉織、穴織、四の婦女を賜った。 筑紫に到着した... -
秦氏と神仙思想
『紀』皇極紀3年7月条に、秦河勝をめぐる次のような記述がみえます。 東国の不尽河の辺の人大生部多、虫祭ることを村里の人に勧めて曰はく、 「此は常世の神なり。此の神を祭る者は、富と寿とを致す」といふ。 巫覡等、遂に詐きて、神語に託せて曰はく、 ... -
茨田堤築造に関わる茨田連と秦人
茨田堤は、仁徳朝に、淀川の水害を防ぐために造られたといわれ、一部が、大阪府門真市宮野町の堤根神社境内に残っています。 『紀』仁徳紀11年10月条に、茨田堤についての記述がみえます。 工事のときに、「武蔵の人強頸と河内の人茨田連衫子を以て、... -
少子部蜾蠃と秦酒公
『紀』雄略紀15年条に、蚕をめぐる秦酒公の話がみえます。 秦の民を臣連等に分散ちて、各欲の随に駈使らしむ。秦造に委にしめず。 是に由りて、秦造酒、甚に以て憂として、天皇に仕へまつる。 天皇、愛び寵みたまふ。詔して秦の民を聚りて、秦酒公に賜ふ。...
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