和珥臣祖日触使主女宮主宅媛– category –
応神妃和珥臣祖日触使主女宮主宅媛について
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大山守皇子・額田大中彦皇子と山守と出雲
『紀』仁徳即位前紀に、額田大中彦皇子が、倭屯田の屯田司を出雲臣祖淤宇宿禰が務めることに対して抗議する話がみえます。 額田大中彦皇子は、理由を次のように述べています。 是の屯田は、本より山守の地なり。 是を以て、今吾、将に治らむとす。 爾は掌... -
許波多神社とオシホミミ
許波多神社は、 京都府宇治市五ヶ庄古川と木幡東中の2カ所に鎮座し、 『延喜式』神名帳では、山城国宇治郡の名神大社となっています。 所在地から、 応神妃である、 和珥臣祖日触使主女宮主宅媛を輩出した一族の奉祭神と思われます。 『釈日本紀』所引『... -
矢田皇女と矢田部
応神と和珥臣祖日触使主女宮主宅媛のあいだに生まれた3人の子、 菟道稚郎子皇子・矢田皇女・雌鳥皇女のその後をみると、 菟道稚郎子皇子は、仁徳と王位を譲り合うなかで亡くなり、 雌鳥皇女は、仁徳の求愛を拒否し逃避行に出て、殺されました。 矢田皇女... -
『記』『紀』の出雲討伐伝承
『紀』崇神紀60年7月条に、出雲振根討伐の話がみえます。 当時、出雲の神宝は、出雲振根が管理していましたが、その留守に、崇神天皇の使者、矢田部造遠祖武諸隅が来て「天皇が宝を見たいと仰る」と言ったので、出雲振根の弟、飯入根は、神宝を献上しまし... -
隼別皇子と雌鳥皇女の逃避行
『記』『紀』に、雌鳥皇女と隼別皇子の逃避行の話がみえます。 雌鳥皇女は、応神と和珥臣祖日触使主女宮主宅媛の子で、 菟道稚郎子と矢田皇女の妹にあたります。 『紀』仁徳紀40年2月条によると、 仁徳は、雌鳥皇女へ求婚を伝えるため、 使者として、隼... -
大山守皇子の謀反と菟道稚郎子の悲劇
応神は、3人の子たちに次のように言ったと『記』にみえます。 大山守命は、山海の政を為よ、 大雀命は、食国の政を執りて白し賜へ、 宇遅能和紀郎子は、天津日継を知らせ。 菟道稚郎子(宇遅能和紀郎子)を後継の王とすること、 大山守皇子(... -
岡屋津
曾て、京都盆地の南部に、巨椋池という、巨大な淡水湖がありました。 宇治川・木津川・桂川の3河川が流入して、 淀川が流出するという地形であることから、 池に面する津は、河川交通の要衝として繁栄しました。 なかでも、池の東端部の岡屋津は、 淀川水... -
和珥臣祖日触使主女宮主宅媛と応神の結婚
『記』『紀』に、 応神と和珥臣祖日触使主女宮主宅媛の結婚の記述がみえます。 『記』によると、応神は、宮主宅媛と木幡村で出会いました。 木幡村とは、京都府宇治市木幡であり、 当時、南西に、巨椋池が広がり、 木幡の南には、淀川水運と古北陸道を繋ぐ...
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