額田部連– tag –
-
生根神社と少彦名
『延喜式』神名帳に、 摂津国住吉郡の生根神社、 大和国城上郡の忍坂坐生根神社という、 2つの生根神社がみえます。 住吉郡の生根神社は、住吉大社の東に鎮座し、 江戸時代には、同社の摂社でしたが、明治5年(1872)に分離独立しました。 城上郡の忍坂... -
曙立王・菟上王と出雲
『記』垂仁記に、曙立王・菟上王がホムチワケ王を連れて出雲に行く話がみえます。 曙立王は、出発の前に行ったウケヒで、見事に、鷺巣池の樹に住む鷺を一度死なせて生き返らせ、甜白檮之前の樫の木を一旦枯れさせて復活させ、「倭者師木登美豊朝倉曙立王」... -
大山守皇子・額田大中彦皇子と山守と出雲
『紀』仁徳即位前紀に、額田大中彦皇子が、倭屯田の屯田司を出雲臣祖淤宇宿禰が務めることに対して抗議する話がみえます。 額田大中彦皇子は、理由を次のように述べています。 是の屯田は、本より山守の地なり。 是を以て、今吾、将に治らむとす。 爾は掌... -
長門の住吉坐荒御魂神社
『紀』神功摂政前紀によると、 筑紫橿日宮で住吉大神の祟りで絶命した、仲哀の遺骸は、 穴門豊浦宮に遷されて殯が行われました。 仲哀の宮は、穴門と橿日の2カ所ですが、 殯が行われた穴門が本拠地であったと推測されます。 その後、「穴門の山田邑」に、...
1