平群木菟宿禰– category –
仁徳と平群臣祖木菟宿禰の関係について
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平群坐紀氏神社
平群坐紀氏神社は、『延喜式』神名帳において大和国平群郡の名神大社とされ、平群谷の竜田川東岸、奈良県生駒郡平群町上庄に鎮座します。 貞観12年(870)の某郷長解写(正親町伯爵旧蔵文書)に、「紀氏神地」は、現社地より2.5kmほど南、平群町椿井付近に... -
大和国平群郡平群郷
平群臣の本拠地は、『和名抄』の大和国平群郡平群郷、生駒山地主部と矢田丘陵の間を大和川支流の竜田川が南流する平群谷にありました。 立地から、河内志紀・河内日下・片岡の3つの地域勢力との関係が窺えます。 竜田川は、生駒郡斑鳩町西南部の三室山南... -
平群臣と角鹿の塩
『紀』武烈即位前紀に、平群真鳥の最期について、次のような記述がみえます。 真鳥大臣、事の済らざらむことを恨みて、身の免れ難きことを知りぬ。計窮り望絶えぬ。 広く塩を指して詛ふ。遂に殺戮されぬ。其の子弟さへに及る。 詛ふ時に唯角鹿... -
平群木菟宿禰・葛城襲津彦と弓月君伝承
『紀』応神紀14年是歳条と16年8月条に、弓月君の渡来伝承がみえます。 百済から倭国に向かった弓月君が、新羅人の妨害にあって加羅に留め置かれたので、葛城襲津彦が派遣されましたが、3年たっても帰還しませんでした。 平群木菟宿禰・的戸田宿禰の率いる... -
平群郷・平群郡・平群神社
『和名抄』に、「平群」の名称をもつ郡郷として、大和国平群郡平群郷、日向国児湯郡平群郷、筑前国早良郡平群郷、安房国平群郡がみえ、平群臣の拠点と推測されます。 前2者については、別の投稿で検討しているので、後2者について、見ていきます。 (→ ... -
日向国児湯郡平群郷
『和名抄』にみえる、日向国児湯郡平群郷は、宮崎県西都市平郡(へごおり)周辺に比定され、「平群」の地名から、平群臣との関連が推測されます。 児湯郡は、国府・国分寺が営まれた、日向国の中心地域で、また、西都原古墳群の所在地でもあります。 西都... -
平群木菟宿禰と仁徳の交換命名伝承
『紀』仁徳紀元年正月条に、仁徳と平群木菟󠄁宿禰の命名伝承が記されています。 初め天皇生れます日に、木菟󠄁、産殿に入れり。 明旦に、誉田天皇、大臣武内宿禰を喚して語りて曰はく、「是、何の瑞ぞ」とのたまふ。 大臣、対へて言さく、 「...
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