継体の系譜と即位事情– category –
『記』『紀』『上宮記一云』にみえる、継体の父系・母系・后妃と即位事情についての記述を概観します。父系については〈若野毛二俣王系譜〉、母系については〈三尾君と振媛〉というカテゴリーのなかで、さらに深く探っていきます。
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継体と葛城襲津彦の拠点の相関性
継体と葛城襲津彦の拠点について次のような相関性が認められます。 ① 『紀』継体紀5年10月条に、継体が「山背の筒城」を都としたことがみえます。 『記』『紀』垂仁系譜にみえる、継体母系三尾君の祖の母、カニハタトベは、様々な点で南山城(宇治郡・綴... -
樟葉宮・筒城宮・弟国宮
『紀』によると、継体は、元年正月に越前三国を発して樟葉宮に至り、2月に即位し、5年10月に山背の筒城、12年3月に弟国、20年9月に磐余の玉穂に遷都しています。 樟葉宮は、大阪府枚方市楠葉丘の交野天神社が旧跡とされ、筒城宮は、京都府京田辺市多々羅都... -
継体と尾張連草香女目子媛の結婚
『紀』継体紀元年3月条に、妃、尾張連草香女目子媛のことがみえます。 元の妃、尾張連草香が女を目子媛と曰ふ。〈更の名は色部。〉 二の子を生めり。皆天下を有らす。 其の一を勾大兄皇子と曰す。是を広国排武金日尊とす。 其の二を檜隈高田皇子と曰す。是... -
ヤマトタケル伝承と継体
ヤマトタケル伝承は、次のような点において継体との関係が認められます。 ① ヤマトタケルの后は、『紀』景行紀51年8月条に両道入姫皇女、『記』景行記に布多遅能伊理毘売とみえ、『記』『紀』ともに垂仁の子と記されます。 『記』垂仁系譜に、山代大国之... -
『紀』『上宮記』逸文にみえる継体即位事情
『紀』継体即位前紀に、継体の出自と即位事情について、次のようにみえます。 男大迹天皇〈更の名は彦太尊。〉は、誉田天皇の五世の孫、彦主人王の子なり。母を振媛と曰す。振媛は、活目天皇の七世の孫なり。 天皇の父、振媛が顔容姝妙しくして、甚だ媺色... -
『上宮記』逸文
『釈日本紀』所引『上宮記』逸文に、継体天皇の系譜と即位についての記述がみえます。 系譜を図にすると次のようになります。 伊自牟良(牟義都国造)─久留比売命 中斯...
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