草薙剣とヤマトタケル– category –
ヤマトタケルが草薙剣を尾張に残して悲劇的な死を遂げる物語の意味を探ります。
-
物部伊勢連父根
『紀』継体紀23年3月条に、物部伊勢連父根がみえます。 また、『紀』継体紀9年2月条・2月是月条・4月条・10年5月条・9月条にみえる「物部連」は、「名を闕せり」と記すいっぽうで、「百済本記に云はく、物部至至連といふ」と注があり、物部伊勢連父根であ... -
伊勢国鈴鹿郡・河曲郡と穂積臣押山
伊勢国鈴鹿郡・河曲郡(鈴鹿川中・下流域)について、5つの注目点があります。 ① 『延喜式』神名帳の伊勢国河曲郡に、大鹿三宅神社がみえます。 伊勢大鹿首の奉祭神とみられます。 鈴鹿川下流右岸、三重県鈴鹿市池田町に鎮座する大鹿三宅神社が式内社とさ... -
『紀』景行紀の穂積氏忍山宿禰
『紀』景行紀40年是年条に、ヤマトタケルの妃、弟橘媛が入水する話がみえます。 弟橘媛について「穂積氏忍山宿禰の女なり」とあり、51年8月条に、ヤマトタケルとのあいだに「稚武彦王」をもうけたことが記されます。 『記』は、弟橘比売がヤマトタケルとの... -
『紀』継体紀の穂積臣押山
穂積臣押山は、『紀』継体紀の3つの記事群に登場します。 ①任那4県割譲記事6年条②己汶・帯沙記事7〜10年条③多沙津記事23年条 田中俊明氏の研究によると、①②③は、6世紀前半の百済の加耶進出に関わる記述とされます。 百済は、5世紀末から6世紀初めにかけて... -
ヤマトタケルの白鳥陵
『紀』景行紀40年是年条に、ヤマトタケルの3つの陵のことがみえます。 ヤマトタケルは、終焉の地である伊勢の能褒野に葬られましたが、白鳥となって飛び立ち、大和の琴弾原を経て、河内の旧市邑に至りました。 そのため、能褒野・琴弾原・旧市邑の3カ所に... -
天之葺根神
『紀』神代紀第8段一書第4と『記』に、草薙剣を天に返す記述がみえます。 素戔鳴尊の曰はく、「此は以て吾が私に用ゐるべからず」とのたまひて、乃ち五世の孫天之葺根神を遣して、天に上奉ぐ。 『紀』神代紀第8段一書第4 故、此の大刀を取り、異しき物と思... -
伊勢国鈴鹿郡の忍山神社・布気神社
『延喜式』神名帳の伊勢国鈴鹿郡に、忍山神社と布気神社がみえます。 忍山神社は三重県亀山市野村に、布気神社(布気皇館太神社)は亀山市布気町に鎮座し、当該地域は、『和名抄』伊勢国鈴鹿郡神戸郷に属します。 2社は、1.64kmの至近距離にありますが、現... -
天村雲とホアカリ・角凝
『紀』神代紀第8段本文(ヤマタノオロチ神話)に、草薙剣について次のような注がみえます。 〈草薙剣、此をば倶娑那伎能都留伎と云ふ。 一書に云はく、本の名は天叢雲剣。 蓋し大蛇居る上に、常に雲気有り。故以て名くるか。 日本武皇子に至りて、名... -
尾張連による草薙剣祭祀
『紀』神代紀第8段本文(ヤマタノオロチ神話)に、草薙剣の出現についての記述がみえます。 時に素戔鳴尊、乃ち所帯かせる十握剣を抜きて、寸に其の蛇を斬る。 尾に至りて剣の刃少しき欠けぬ。 故、其の尾を割裂きて視せば、中に一の剣有り。 此所謂草薙剣... -
神璽の鏡・剣
天皇即位の際に授受される神璽は、鏡・剣・玉のいわゆる「3種の神器」とされます。 『記』『紀』天孫降臨段に、「3種の神器」についての記述がみえます。 時に天照大神、勅して曰はく、「若し然らば、方に吾が児を降しまつらむ」とのたまふ。 且将降しまさ...
1