ホムツワケ– category –
垂仁朝のホムツワケ伝承について
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ホムツワケをめぐる問題点
『記』『紀』垂仁段にみえるホムツワケ伝承の問題点をまとめると、次のような8点となります。 8つの問題点は、「出雲」「河内国高安郡」「角凝・イキシニホ」の3グループに分かれます。 ①〜③は「出雲」、④〜⑦は「河内国高安郡」、⑧は「角凝・イキシニホ」... -
ホムツワケと出雲
『記』『紀』垂仁段のホムツワケ伝承は、『記』『紀』のあいだで物語の違いがみられますが、最終的に「出雲」が関与してホムツワケが話が出来るようになったという点は一致しています。 『記』『紀』それぞれについて、「出雲」がどのように関与したかをみ... -
五十瓊敷と茅渟菟砥川上宮
『記』『紀』に、五十瓊敷入彦による造池と作刀の記述がみえます。 五十瓊敷命を河内国に遣して、高石池・茅渟池を作らしむ。 『紀』垂仁紀35年9月条 五十瓊敷命、茅渟の菟砥川上宮に居しまして、剣一千口を作る。 因りて其の剣を名けて、川上... -
『出雲国風土記』の天𤭖津日女・天御梶日女
『尾張国風土記』逸文に、『記』『紀』垂仁段のホムツワケ伝承の異伝がみえ、尾張国丹羽郡吾縵郷に「多具国の神、阿麻乃弥加都比女」を祭祀したことが記されます。 (→『尾張国風土記』逸文のホムツワケ伝承) 「阿麻乃弥加都比女(あまのみかつひめ)」と... -
ホムツワケ・アジスキ・スサノヲの共通点
『記』『紀』『風土記』において、ホムツワケ、アジスキタカヒコネ、スサノヲの描写が類似することが指摘されています。 ホムツワケについて、『記』『紀』に次のように記されます。 是生年既に三十、八掬髯鬚むすまでに、猶泣つること児の如し。 常に言は... -
曙立王・菟上王と出雲
『記』垂仁記に、曙立王・菟上王がホムチワケ王を連れて出雲に行く話がみえます。 曙立王は、出発の前に行ったウケヒで、見事に、鷺巣池の樹に住む鷺を一度死なせて生き返らせ、甜白檮之前の樫の木を一旦枯れさせて復活させ、「倭者師木登美豊朝倉曙立王」... -
ホムツワケ伝承と彦坐系譜の相関性
『記』開化記の日子坐系譜に、ホムツワケ(ホムチワケ)と関わる人物が複数みえます。 ホムチワケの母、沙本毘売命とその兄沙本毘古王は、日子坐王と春日建国勝戸売女沙本之大闇見戸売の子です。 また、沙本毘売が指名し、後任の垂仁の后となったのは、日... -
『尾張国風土記』逸文のホムツワケ伝承
『尾張国風土記』逸文(前田家本『釈日本紀』巻10「誉津別命及壮而不言」条)に、『記』『紀』垂仁段のホムツワケ伝承の異伝がみえます。 丹羽郡吾縵郷条として、次のような物語が記されます。 ホムツワケが言葉を喋ることが出来るようにと、多具国の神、... -
狭穂彦後裔氏族
『記』『紀』垂仁段に、狭穂彦(沙本毘古)が謀反を起こしたことがみえます。 狭穂彦は、垂仁の后の兄にあたります。 狭穂彦(沙本毘古)の後裔氏族について、『記』開化系譜に、「日下部連・甲斐国造が祖ぞ 」と記されます。 甲斐国造について、「国造本... -
三野県主
『紀』清寧即位前紀に、河内三野県主小根の話がみえます。 雄略の没後、吉備稚媛の子である星川皇子が王位簒奪の反乱を起こして失敗し燔殺され、星川に仕えていた、三野県主小根は、草香部吉士漢彦の足に抱きついて命乞いします。 その甲斐あって、死罪を...
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