若野毛二俣王系譜– category –
継体の父系を記す「若野毛二俣王系譜」から、近江国坂田郡の勢力について探ります。
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筑紫之米多君
『記』若野毛二俣王系譜にみえる、大郎子(意富々等王)は、三国君・波多君・息長坂君・酒人君・山道君・筑紫之米多君・布勢君等の祖と記されます。 大郎子(意富々等王)は、継体天皇の高祖父にあたります。 7氏のうち、三国君・波多君・息長坂君・酒人... -
近江国坂田郡出身の允恭后妃
『記』『紀』に、允恭天皇が近江国坂田郡出身の姉妹を后妃としたことがみえます。 『記』允恭記に、后について、「意富本杼王の妹、忍坂之大中津比売命」とあり、『記』応神記の若野毛二俣王の系譜にみえる「忍坂之大中津比売命」、『上宮記』逸文にみえる... -
近江国坂田郡の朝妻湊
天野川は、滋賀県米原市柏原地区の菖蒲ヶ池を水源とし、奥出川・中井川・砂走川を集めて北流、長岡地区で、伊吹山地からの政所川・弥高川と合流した後南流、一色地区で梓川、醒井地区で黒田川・丹生川を合流した後西流して、下流に沖積平野を形成し、米原... -
『記』『紀』允恭段への疑義
允恭は、倭の五王の「済」に比定され、在位年代は、441、442年〜461年と推測されます。 しかし、『記』『紀』の允恭段の記述には複数の疑点がみられます。 西郷信綱氏は、 允恭の和風諡号(『記』男浅津間若子宿禰命『紀』雄朝津間稚子宿禰命)は、葛城の... -
雄朝津間稚子宿禰
允恭天皇の和風諡号は、『記』に「男浅津間若子宿禰」、『紀』に「雄朝津間稚子宿禰」と記され、大和国葛上郡の地名「朝妻(あさつま)」との関係が示されます。 「朝妻」は、奈良県御所市朝妻を遺称地とし、『紀』天武紀9年9月条に「朝嬬に幸す。因りて大... -
『紀』允恭紀の明石の海の真珠伝承
『紀』允恭紀14年9月条に、明石の海の真珠の伝承がみえます。 天皇が淡路島に狩猟に行くと、獲物はたくさんいるのに不猟でした。 占うと、島の神が「明石の海の底にある真珠を我に祀れば大猟になるだろう」と言いました。 阿波国長邑の男狭磯という海人が... -
『記』若野毛二俣王系譜
『記』応神記に、若野毛二俣王の系譜がみえます。 冒頭の后妃子女の系譜とは別に、応神記の最後に記され、異例の形式となっています。 系図にすると、次のとおりです。 応神 ├────若野毛二俣王 ┌─大郎子(意...
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