日向諸県君– tag –
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難波吉士の賜姓と草香部
大草香皇子が大王に討伐されたとき、 近習していた難波吉士日香香は、 2人の子とともに殉死しました。(『紀』安康紀元年2月条) その後、大草香皇子の冤罪が明らかとなり、 真犯人であった坂本臣祖根使主が討伐されると、 難波吉士日香香の子孫への賜姓... -
雄略と草香幡梭姫皇女の結婚
雄略は、仁徳と日向諸県君髪長媛の子、 草香幡梭姫皇女を后としましたが、 この結婚に関わって多くの事件が起きました。 大王である安康は、弟の雄略を草香幡梭姫皇女と結婚させようと、 草香幡梭姫皇女の兄、大草香皇子のもとへ、 使者として、坂本臣祖根... -
坐摩神と草香幡梭姫皇女
坐摩神社は、 南御堂難波別院の西側、 大阪市中央区久太郎町に鎮座します。 現在地は、寛永年中(1624〜44)に遷座したもので、 旧社地は、大阪市中央区石町にある御旅所、といわれます。 御旅所本殿の下には、方五丈に及ぶ岩盤があって、 神功皇后休息の... -
日向諸県君
日向諸県君は、日向国諸県郡の勢力ですが、その郡域は、大淀川中流・上流域と支流域の大部分と川内川上流の加久藤盆地を含むことから、勢力圏は大淀川水系域と考えられています。 本拠地は、大淀川支流本庄川と深年川にはさまれた台地上に造営された本庄古... -
応神妃日向泉長媛
『記』『紀』によると、日向泉長媛という応神の妃がいます。 『紀』では、2人のあいだに、 大葉枝皇子・小葉枝皇子という子がいたことがみえ、 『記』では、この2人に加えて、幡日之若郎女という子も記されます。 幡日之若郎女の「幡日」は「幡梭(はた... -
日下の后妃
仁徳は、応神から譲られた日向諸県君髪長媛と結婚し、2人のあいだに、大草香皇子、草香幡梭姫皇女をもうけました。(→ 日向諸県君髪長媛と仁徳の結婚) 「大草香皇子」「草香幡梭姫皇女」の「草香」は、2人の居住地とみられます。 「草香」は「日下」とも... -
日向諸県君髪長媛と仁徳の結婚
『記』『紀』に、日向諸県君髪長媛と仁徳天皇の結婚の話がみえます。 日向諸県君は、日向国の南部、諸県郡を拠点とする勢力です。(→ 日向諸県君) 当初、仁徳の父、応神天皇が美貌の髪長媛を妃にしようと呼び寄せますが、仁徳が髪長媛を気に入ったことを...
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