三輪山の神の変遷– category –
三輪山の神の4段階の変遷について
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三輪山の神と少子部蜾蠃
『紀』雄略紀7年7月条に、少子部蜾蠃と「三諸岳の神」の話がみえます。 天皇、少子部蜾蠃に詔して曰はく、 「朕、三諸岳の神の形を見むと欲ふ。 〈或いは云はく、此の山の神をば大物主神と為ふといふ。 或いは云はく、菟田の墨坂神なりといふ。〉 汝、膂... -
伊勢国多気郡麻続郷
『和名抄』伊勢国多気郡麻続郷は、三重県明和町中海(「中麻続」の遺称地)を中心に志貴付近を含む祓川(英保3年(1083)以前の櫛田川の本流)下流域に比定されます。 斎宮の所在した多気郡多気郷の北にあたります。 (『日本歴史地名大系』(JapanKnowled... -
尾張大海媛と神八井耳
『紀』に、尾張大海媛、『記』に、尾張連祖意富阿麻比売とある、崇神の妃は、大和国葛上郡と尾張国海部郡の2つの地域属性を持ち、2地域を結ぶ勢力の存在が推測されます。(→ 尾張大海媛と大和国葛上郡・尾張国海部郡) 「大海」という名称から、大海人皇子... -
尾張大海媛と大和国葛上郡・尾張国海部郡
『紀』に、崇神妃「尾張大海媛」がみえます。(『記』は「尾張連祖意富阿麻比売」と表記) 同じ崇神妃の遠津年魚眼眼妙媛に付記された「一に云はく、大海宿禰女八坂天某辺といふ」という注は、尾張大海媛のものと考えられています。 尾張大海媛は、尾張国... -
遠津年魚眼眼妙媛
『紀』に、 崇神の后妃として、 御間城姫・遠津年魚眼眼妙媛・尾張大海媛の3人がみえます。 御間城姫 ┌─ 活目入彦五十狭茅(垂仁) │ ├─ 彦五十狭茅 │ ├─ 国方姫 ├───────────────────┼─ 千千衢倭姫 御間城入彦五十瓊殖(崇神) ├─ ... -
三輪山の神の変遷
三輪山西麓、奈良県桜井市三輪に鎮座する大神神社は、『延喜式』神名帳に「大神大物主神社」と記され、大和国城上郡の名神大社となっています。 『記』『紀』に、三輪山の神として次の4神がみえます。 ①少子部蜾蠃の雷神『紀』雄略②大物主神『記』崇神・『... -
大己貴と少彦名
『記』『紀』に、大己貴・少彦名の2神をめぐる三輪山の神についての記述がみえます。 『記』によると、共に国作りをしてきた少名毘古那神が常世に渡り、大国主神が途方に暮れていると、海を照らして神が現れ、次のように言います。 能く我が前を治めば、吾... -
倭大国魂神と大物主神
『紀』に、倭大国魂神の祭祀について、次のような記述がみえます。 ① 崇神紀6年条 並祭されていた天照大神と倭大国魂神を離して祀ることを決め、豊鍬入姫が倭の笠縫邑で天照大神を祀り、渟名城入姫が倭大国魂神を祀ることになったが、渟名城入姫は髪が抜... -
大物主神と大田田根子
『記』『紀』崇神段に、大物主神祭祀の話がみえます。 大物主神の祟りによる疫病が蔓延し、大田田根子(オオタタネコ)に祭祀を行わせると、平穏を取り戻したことが記されます。 オオタタネコの系譜について、『記』『紀』に次のようにみえます。 僕は、大...
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