5世紀末の混乱– category –
5世紀末の王権の混乱について
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顕宗・武烈の后妃と陵墓
5世紀後半から6世紀前半まで、雄略朝〜欽明朝にかけて、大王と和珥春日の后妃による特殊な血統が継続します。(→ 和珥春日の后妃) 当該期の大王のなかで、后妃のいない清寧は別として、顕宗・武烈のみがこの血統に属さないことに注目します。 顕宗の后は... -
画期としての平群臣滅亡
顕宗・武烈には、次のような4つの共通点があります。(→ 顕宗・武烈の共通点) ①和珥春日后妃の血統例外的に外されている②陵墓片岡にある③平群臣討伐『記』は顕宗、『紀』は武烈が行ったと記す④『記』『紀』の画期『記』は顕宗を以て物語を終了、『紀』は... -
武寧王の各羅嶋伝承
百済の武寧王は、筑紫の「各羅嶋」の生まれであることが『紀』雄略紀及び武烈紀にみえます。 「各羅嶋」とは、東松浦半島の波戸岬から波戸水道を隔て北約5kmにある加唐島です。(佐賀県唐津市鎮西町加唐島) 『紀』雄略紀5年4月条・6月条によると、蓋鹵王... -
丹波国桑田郡の出雲神・月神
桑田郡は、丹波国の東南部に位置し、京都府亀岡市・京都市上京区の旧京北町域・南丹市の旧美山町域にあたります。 京都府亀岡市馬路町三日市の周辺は、古代の丹波国桑田郡の中心地域の1つと考えられています。 丹波国分寺跡(亀岡市千歳町国分桜久保)と... -
丹波国桑田郡の倭彦王と「玖賀」
『紀』継体即位前紀に、武烈の死後、丹波国桑田郡の倭彦王を大王に推戴しようとして失敗した話がみえます。 壬子に、大伴金村大連議りて曰はく、 「方に今絶えて継嗣無し。天下、何の所にか心を繋けむ。 古より今に迄るまでに、禍斯に由りて起る。 今...
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