彦狭島– category –
『紀』孝霊系譜にみえる彦狭島について、拠点、性格、吉備との関係などを探ります。
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豊城系譜の彦狭島
『紀』景行紀55年2月条に、次のような記述がみえます。 彦狭嶋王を以て、東山道の十五国の都督に拝けたまふ。 是豊城命の孫なり。 然して春日の穴咋邑に到りて、病に臥し薨りぬ。 是の時に、東国の百姓、其の王の至らざることを悲びて、 窃かに王の尸を盗... -
播磨の牛鹿臣
『記』孝霊系譜の「日子寤間」後裔の「針間牛鹿臣」は、『姓氏録』右京皇別下に「宇自可臣」とみえ、「孝霊天皇の御子、彦狭島命の後なり」と記されることから、「日子寤間」とは「彦狭島」であることがわかります。(→ 孝霊系譜の彦狭島) 牛鹿臣の本拠地... -
常道仲国造の祖「建借間」
『常陸国風土記』行方郡条に、「那賀国造の初祖」「建借間命」が「荒ぶる賊」を討伐した話がみえます。 那賀国造の支配領域とみられる、常陸国那賀郡は、旧郡の那珂郡と東茨城郡の北半にあたります。 また、『常陸国風土記』に、大化5年(649)に、下総国... -
孝霊系譜の彦狭島
『記』『紀』孝霊段に、次のような系譜がみえます。 『紀』 大日本根子彦太瓊天皇 │ │ ├──大日本根子彦国牽天皇 │ │ 細媛命〈一云 春日千乳早山香媛〉〈一云 十市県主等祖女真舌媛〉 │ │ │ ├─┬─倭迹迹日百襲姫命 │ ...
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