葛城襲津彦– category –
葛城襲津彦について
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尾張国海部郡の伊久波神社
愛知県稲沢市平和町下三宅郷内に鎮座する伊久波神社は、祭神を的臣祖とする、尾張国海部郡の式内社です。 『張州府志』(宝暦2年(1752)成立の尾張藩撰の地誌)に「生桑天神祠」とみえ、次のように記されます。 在三宅村、今称生桑神明、按延喜神名式曰、... -
葛城襲津彦と「壬生」
『紀』仁徳紀7年8月条に、 大兄去来穂別皇子の為に、壬生部を定む、 と記されます。 仁徳と磐之媛の子である去来穂別皇子のために「壬生部」が設置されたことがわかります。 『記』にも、同様の記述がみえます。 「壬生部」は、皇子の養育に奉仕した部... -
磐之媛と山城国筒城宮
『紀』仁徳紀30年9・10・11月条に、仁徳の后、磐之媛が、夫の矢田皇女への執心に腹を立て、山背の筒城(綴喜)に「家出」をする話がみえます。 『記』にも、同様の話が記され、「家出」先は、「箇木の韓人、名は奴理能美が家」とあります。 つぎねふや 山... -
土佐国土佐郡の葛木男神社・葛木咩神社
『延喜式』神名帳の土佐国土佐郡に、葛木男神社・葛木咩神社がみえます。 葛木男神社は、高知県高知市の国分川右岸、布師田山の北東麓の西谷に鎮座し、葛木咩神社は、国分川対岸の字下附に鎮座していましたが、1972年に葛木男神社に合祀されました。 当初... -
仁徳と葛城襲津彦女磐之媛の結婚
『紀』仁徳紀2年3月条に、 磐之媛命を立てて皇后とす、 と記されます。 磐之媛について、 『紀』履中即位前紀に、「葛城襲津彦の女なり」、 『記』に、「葛城之曾都毘古が女、石之日売命〈大后〉」とあり、 葛城襲津彦の娘であったことがわかります。 ...
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