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馬見岡綿向神社と出雲
鈴鹿山脈の霊峰、綿向山を御神体とする、馬見岡綿向神社は、滋賀県蒲生郡日野町村井に鎮座し、『延喜式』神名帳に載る、近江国蒲生郡の馬見岡神社二座に比定されます。 出雲系の天穂日命・武三熊大人命・天夷鳥命を祭神とし、宮司は、南北朝期頃まで出雲宿... -
佐々貴山君と豊浦湊
佐々貴山君は、近江国蒲生郡の郡領氏族であり、大領として、『続日本紀』天平16年(744)8月乙未条に、佐々貴山君親人、『続日本紀』延暦4年(785)正月癸亥条に、佐々貴山君由気比、『日本三代実録』元慶元年(877)12月2日条に、佐々貴山公是野がみえま... -
佐々貴山君の起源伝承
市辺押磐皇子は、雄略と王位を争っていましたが、狭狭城山君韓帒宿禰らの作戦によって、近江の来田綿蚊屋野で殺されました。 市辺押磐皇子の子である顕宗は即位すると、父、市辺押磐皇子の遺骨を捜し始めました。 『紀』顕宗紀元年2月条によると、近江国狭... -
伊予来目部小楯と播磨志染
播磨の志染で顕宗・仁賢を発見したのは「山部連先祖伊予来目部小楯で」した。 伊予来目部の本拠地は、重信川水系の小野川右岸、『和名抄』伊予国久米郡石井郷に属する、愛媛県松山市来住町の久米官衙遺跡群周辺と推測されます。 久米官衙遺跡群は、7世紀... -
難波吉士の賜姓と草香部
大草香皇子が大王に討伐されたとき、 近習していた難波吉士日香香は、 2人の子とともに殉死しました。(『紀』安康紀元年2月条) その後、大草香皇子の冤罪が明らかとなり、 真犯人であった坂本臣祖根使主が討伐されると、 難波吉士日香香の子孫への賜姓...
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