神仙思想– tag –
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仁賢と「嶋子」
『紀』仁賢即位前紀に、仁賢天皇について「字は、嶋郎」と記され、『紀』顕宗即位前紀の文注に、仁賢の更の名は「嶋稚子」とあります。 嶋郎・嶋稚子とは、丹後の浦嶋子と関わるといわれます。 『釈日本紀』所引『丹後国風土記』逸文によると、水江浦嶼子... -
顕宗と「来目稚子」
『紀』顕宗即位前紀の文注に、顕宗の更の名について「来目稚子」と記します。 「来目」は「久米」とも表記されます。 『万葉集』巻3に「博通法師の紀伊国に往き、三穂の石屋を見て作りし歌3首」として次のようにみえます。 はだすすき久米の若子がいましけ... -
秦氏と神仙思想
『紀』皇極紀3年7月条に、秦河勝をめぐる次のような記述がみえます。 東国の不尽河の辺の人大生部多、虫祭ることを村里の人に勧めて曰はく、 「此は常世の神なり。此の神を祭る者は、富と寿とを致す」といふ。 巫覡等、遂に詐きて、神語に託せて曰はく、 ...
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