三嶋溝橛耳と事代主神後裔氏族

『姓氏録』に、長柄首、長公について次のように記されます。

長柄首 天乃八重事代主神の後なり

『姓氏録』大和国神別

長公 大奈牟智神の児、積羽八重事代主命の後なり

『姓氏録』和泉国神別

『続日本後紀』に、長我孫について次のようにみえます。

摂津国人従五位下長我孫葛城及其同族合三人。賜姓長宗宿禰。事代主命八世孫。忌毛宿禰苗裔也

『続日本後紀』承和2(835)年10月戊子条

長柄首・長公・長我孫の3氏が事代主神後裔氏族であることがわかります。

次に、『紀』神武即位前紀庚申年8月条、『紀』神代紀第8段一書第6にみえる、事代主神と三嶋溝橛耳の娘の通婚伝承と事代主神後裔氏族の関係を探ります。

① 三嶋溝橛耳と関わる溝杭神社(大阪府茨木市五十鈴町)は、安威川右岸に鎮座します。

溝杭神社から安威川を下り、「十市県主等祖女真舌媛」の「真舌」を経由して、牛牧のある「大隅嶋」を渡ると、「長柄」へ至ります。(→ 十市県主等祖女真舌媛

『住吉大社神代記』「長柄船瀬本紀」の「長柄船瀬」の地で、四至の記述から、東は守口市大庭町から、西は大阪市都島区友渕町にまで及ぶ、淀川河岸港津地域であり、さらに下流に、孝徳天皇の「難波長柄豊碕宮」が造営されます。

② 奈良県天理市「長柄」に、大和国山辺郡の式内社、白堤神社が鎮座し、「大三輪神三社鎮座次第」別宮小社之事に、率川神社を創始した人物として、大神君白堤がみえます。

大和国添下郡の式内社、率川阿波神社(奈良県奈良市本子守町、現在は率川神社の境内社)は、事代主神を祭神とします。

また、率川神社の祭神は、狭井大神(狭井坐大神荒魂神社)・玉櫛媛(三嶋溝橛耳の娘)・媛蹈鞴五十鈴媛(狭井大神と玉櫛媛の子)の3神であり、やはり事代主神と三嶋溝橛の娘の通婚伝承と関係します。

(→ 率川坐大神神御子神社

③ 大和国高市郡の式内社、高市御県坐鴨事代主神社(奈良県橿原市雲梯町の河俣神社に比定)の社家について、『和州五郡神社神名帳大略注解』に、「長柄首」と記されます。

④ 『延喜式』神名帳の大和国葛上郡に、長柄神社(奈良県御所市名柄)がみえ、また、葛上郡の名神大社である、葛木御歳神社(奈良県御所市東持田)について、文永2年(1265)率川阿波神社神主大神家次による『大神分身類社鈔並附尾』に「長柄比売神社一座、大和国葛上郡、曰御歳神社、高照光姫命」と記されます。

また、長柄神社の北東2.8kmに、葛上郡の名神大社、鴨都波八重事代主命神社(奈良県御所市宮前町)が鎮座します。

⑤ 承和12年(845)12月5日「紀伊国那賀郡司解」に、大領外従八位上長我孫縄主、少領外従八位下長公廣雄の名がみえ、紀ノ川中流域の紀伊国那賀郡の郡領氏族は、事代主神後裔の長我孫、長公であることがわかります。

⑥ 『続日本紀』宝亀4年(773)5月辛巳条に、阿波国勝浦郡領長費(長直)人立と前郡領長直救夫の名がみえ、長直の直は長国造に起因するもので、長公の同族とされ、阿波国勝浦郡・那賀郡の郡領氏族も事代主神後裔であることがわかります。

②の率川阿波神社は、長直に関係すると推測されます。

⑦ 「国造本紀」に、土佐国造(都佐国造)について「長阿比古同祖 三嶋溝杭命九世孫小立足尼定賜国造」とみえ、土佐国造が事代主神後裔であり、また、「三嶋溝杭命」とのつながりが示されています。

①〜⑦をみてくると、摂津の「三嶋溝橛耳」の拠点を起点として、摂津長柄、大和の率川・長柄・三輪、雲梯、葛城を経て、紀伊の紀ノ川中流域から阿波の勝浦・那賀へと渡り、土佐へ至る、事代主神を媒介とする交通網の存在がうかがえます。

◇ 5世紀代に葛城襲津彦が葛城から紀ノ川・紀伊湊経由で土佐へ至る交通路を掌握していた形跡がみられ、事代主神後裔氏族はそれを継承した可能性がある。(→ 土佐国土佐郡の葛木男神社・葛木咩神社)(→ 継体と葛城襲津彦の拠点の相関性

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