十市県主等祖女真舌媛

『紀』孝霊紀2年2月条に「十市県主等が祖が女真舌媛」、『和州五郡神社神名帳大略註解巻四補欠』所引「十市県主系図」に「倭真舌媛」がみえます。(→ 十市県主系図

「真舌」は、摂津国島下郡、千里丘陵から安威川右岸に至る山田川流域の長方形の地域です。

「味舌」「甘舌」とも記され、中世の味舌庄にあたり、近世には、強い地域的結合をもつ、味舌上・庄屋・坪井・正音寺・味舌上の5ヶ村からなりました。

(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):大阪府:摂津市>味舌村)

古代の真舌は、淀川下流の有力な分流の1つである三国川(安威川・神崎川)に面し、対岸の「鯵生(あじふ)野」は、『住吉大社神代記』「長柄船瀬本記」にみえる「長柄船瀬」に比定され、遣唐使船の荷物がここで積み込まれたことが記されます。

「長柄船瀬本記」に「長柄船瀬」の四至について「東限高瀬大庭 南限大江 西限鞆淵 北限川岸」とみえ、守口市大庭町から大阪市都島区友渕町にまで及んでいたことがわかります。

(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):大阪府:大阪市>大淀区>北長柄村>長柄・長柄橋)

「鯵生野」には、平安時代、典薬寮に所属する牛牧、「味原(あじふ)牧」が置かれ、乳牛を飼育したところから乳牛牧ともよばれました。

「味原牧」の所在した近世の南大道村・北大道村・西大道村は、いわゆる難波八十島の1つ大隅島の地といわれ、『紀』安閑紀2年9月条の「牛を難波の大隅嶋と媛嶋松原とに放った」記事との関係が推定されます。

(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):大阪府:大阪市>東淀川区>味原牧、南大道村、北大道村、西大道村)

また、「長柄」は、事代主神後裔長柄首に関わる地名であり、味舌の北東4.3kmに、溝咋神社が所在し、一帯は、『紀』神武即位前紀、『紀』神代紀にみえる事代主神と三嶋溝橛耳の娘の通婚伝承に関わる土地であることがわかります。

「真舌」は、「三嶋溝咋」と「長柄」をつなぐ中間地点に位置しています。

(→ 三嶋溝橛耳と事代主神後裔氏族

◇ 『紀』孝徳紀にみえる「難波長柄豊碕宮」は、上町台地北端、大阪城南方に比定される。また、『紀』白雉元年正月条にみえる「味経(あじふ)宮」は、『和名抄』摂津国東成郡味原郷と関わるもので、大阪市天王寺区味原町を含む地域に比定されるが、確実なことは不明である。「味経宮」の「味原」は、「鯵生野」の「味原」とは別の地である。

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