継体と「角(つの)」

継体の周辺にみえる「角(つの)」に注目します。

『紀』継体紀元年3月条に記される継体の后妃のなかに「三尾角折君の妹稚子媛」がみえ、『上宮記』逸文の系譜に、継体の母「布利比弥命」の兄が「都奴牟斯(つのむし)君」とあります。(→ 継体の三尾君の妃)(→ 『上宮記』逸文

継体母系三尾君の一族に「三尾角折君」がおり、(そのことと関わるかどうかは不明ですが)「都奴牟斯(つのむし)君」という人物がいたことがわかります。

「三尾角折君」の本拠地について、近江国高島郡と越前国足羽郡の2説がありますが、どちらが正しいのかはさておき、近江国高島郡の状況に注目します。(→ 三尾角折君の本拠地)(→ 近江国高島郡三尾郷

近江国高島郡は、『紀』と『上宮記』逸文に、継体母系の拠点と記されます。

中心地域とみられる『和名抄』の三尾郷は、滋賀県高島市安曇川町三尾里を遺称地として、高島郡南部の鴨川下流域に比定されますが、当該地域の史料に三尾君は記されず、有力な在地勢力も見当たりません。

いっぽう、8世紀の近江国高島郡の郡領氏族は「角山君」(『紀』孝昭記の天押帯日子命後裔の都怒山臣)であり、その拠点は、『和名抄』の角野(つの)郷、北部の石田川流域とされます。

『続紀』天平宝字8年(764)9月18日条にみえる、追討軍に追われた藤原仲麻呂を家に泊めた前少領「角家足」はその一族とみられます。

また、「三尾角折君」も、近江国高島郡説においては、「角山君」の一族と考えられています。

(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):滋賀県:近江国>高島郡>角野郷)

継体母系の拠点であることが確かな近江国高島郡の郡領氏族が「角山君」であることに注目します。

「国造本紀」に、加我国造・羽咋国造について三尾君同祖とみえ、振媛が継体を養育したのは越前国坂井郡高向なので、三尾君の拠点は、近江から越前へと繋がるのですが、中継地の要衝として「角鹿」があります。

角鹿について、『紀』垂仁紀元年是歳条の異伝に、都怒我阿羅斯等伝承がみえます。

都怒我阿羅斯等伝承は、「角鹿」の地名起源と「比売語曾社」の起源という2つの話からなりますが、前者は、『紀』継体紀23年4月条の「任那の王、己能末多干岐」「阿利斯等」(大加耶国王(異脳王))の来朝、後者は、『記』の天之日矛伝承に関係する話であり、継体朝の歴史的事実と天之日矛伝承が結び付けられています。

ちなみに、「角鹿」の地名起源では、越国の笥飯浦(角鹿)来た「意富加羅国の王の子、都怒我阿羅斯等(亦の名于斯岐阿利叱智干岐)」の額に角があったので「角鹿」と名付けたと記されます。

(→ 『紀』垂仁紀の都怒我阿羅斯等伝承と天之日矛

また、継体は山城国乙訓に王宮を定めましたが、乙訓について、『山城国風土記』逸文に、賀茂建角身命の娘、玉依日売が乙訓社火雷神と神婚し、加茂別雷命をもうけたことがみえます。

賀茂建角身」の名の根幹を成すのは「角(つの)」であり、乙訓でも継体と「角」の関係が認められます。

(→ 角凝と天背男・久我

『紀』垂仁紀のホムツワケ伝承も、ホムツワケの養育氏族の鳥取連が「角凝」後裔氏族であり、ホムツワケの母狭穂媛は、周防国佐波郡の玉作部との関係が認められ、当該地の旧名は「角(つの)国」なので、「角(つの)」との関係が認められます。

(→ 河内国大県郡の天湯川田神社と鳥取連)(→ ホムツワケと玉作部

ホムツワケの関係勢力・関係事象は、河内国高安郡を中心とした生駒山地西麓に顕著な分布が認められますが、継体即位に深く関与した河内馬飼首(河内母樹馬飼首)は、当該地域の在地勢力です。

(→ 河内国高安郡の特殊性)(→ 河内国高安郡とホムツワケ伝承

また、『常陸国風土記』香島郡条に「角折浜」の地名がみえ、茨城県鹿嶋市角折を遺称地とし、鹿島灘に臨む浜にあたります。

地名の起源について、大蛇が海に出ようとして浜に穴を掘ったところ、蛇の角が折れて落ちたという説と、ヤマトタケルが神に御膳を奉る際、水を得るために鹿の角で土を掘ると角が折れたという、2つの説が記されています。

「角折浜」は、律令制下では香島郡に属しますが、『常陸国風土記』によると、大化5年(649)以前は、那賀国造の部内に属したことがわかっています。

那賀国造の祖は、『常陸国風土記』に「建借間」とみえ、『記』孝霊系譜の「日子寤間」「日子刺肩別」と同一人物と推測され、「日子刺肩別」の後裔氏族に、角鹿国造がみえます。

「角鹿」と「角折浜」の在地有力勢力がともに、彦狭島(日子寤間・日子刺肩別・建借間)を祖とすることに注目します。

(→ 常道仲国造の祖「建借間」)(→ 孝霊系譜の彦狭島

継体の周辺に散見する「角(つの)」は、「ホムツワケ」「天之日矛」「彦狭島」に繋がっており、逆に言うと、「ホムツワケ」「天之日矛」「彦狭島」は継体王権の動向を描いている可能性があると思われます。

◇ 角凝系譜にみえる「天村雲」は「草薙剣」と推測される。継体が5世紀末の王権の混乱収束のため、「草薙剣」をホアカリから離して「角凝」に付けた際の状況を、「ホムツワケ」「天之日矛」「彦狭島」は描いているのではないか。(→ 彦狭島と継体王権)(→ 『紀』垂仁諸伝承と継体の相関性)

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